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2023 東京豊工会 会員懇親行楽会を実施しました。


9月22日(金) 11名の参加で「江戸時代の代表的な大名庭園・浜離宮恩賜庭園のガイド付き見学」と「上野東京国立博物館の特別展鑑賞会」と懇親会を行いました。
当日は天候にも恵まれ、楽しい1日でした。
見学終了後は、上野の「花の舞」で懇親会も行いました。
有意義な楽しい会となりました。
来年も企画いたしますので、東京豊工会会員皆様の参加をお待ちします。

担当 三重野敏行(38E) 


本年度の見学先「都立 浜離宮恩賜庭園」の概要






潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。
潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。
しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。
この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。
ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。
その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。
その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年(1945年)11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年(1946年)4月有料公開されるに至りました。
なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年(1948年)12月には国の名勝及び史跡に、同27年(1952年)11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。











大分県立大分工業高等学校豊工会東京支部


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